白い球体になりたい

音楽好きだし、ゲイだし、世界が終わらないことも知ってる

僕とIくん(その3)

ジャズは楽しかったが、一点だけ嫌なことがあった。それは「音楽を見下す」という行為だった。

 

部室ではいつも歴代の大物ジャズミュージシャンたちの名演が流れ、それはとても素敵な空間だっただろう。しかし、彼らはロックミュージシャンの名前が出るたびに、あれは下手くそだ、あれは全然音楽ではない、それはそれは悪口を並べ立てた。僕はバンドサークルとジャズ研を掛け持ちしていたため、大変複雑な気持ちだった。

 

I君は影響されやすいタイプだったので、すぐにロックミュージシャンを、ディスりはしないまでも少し下に見るようになった。そもそも求められる技術レベルがロックやジャズ、引き合いに出せばクラシックで、それぞれ全然違いがある。同列に語ってはいけないことだと今では思う。

 

I君は授業にもろくに行かず、ずっと部室にこもってドラムの練習をしていた。僕はといえばバンドサークルも掛け持ちし音楽漬けの日々であった。僕は飽き性で、いろんな楽器に手を出しては中途半端に練習していた。ピアノもそう。僕のピアノは全然うまくなかった。いまでもそうだ。

しかしI君はメキメキ成長し、見違えるほどドラムが上手くなった。僕からすれば彼の音符はとても堅く、リズムを崩さない正確無比なドラム。悪くいうと機械っぽい。そんな超絶技巧をどんどん身につけて、ムードメーカーも相まってジャズ研には欠かせない存在になっていった。

 

しかし同時に、彼はどんどん変わって行った。

「もっと上手くなりたい」

ここまでは良かった。

「もっと上手い人とやらないと、上手くなれない気がする。上手い人とだけやれたら一番いい」

「僕も早く上手い人とやれるようにならないと」

と繰り返すようになった。

 

ある日、ジャズ研究会の次のライブの曲決めのために部室に集まって、だらだらと話をしていた。

「かっちゃん、どの曲やりたいの?」

 

ホワイトボードに「丸の内サディスティック」とあったので、椎名林檎が好きだった僕はこれをチョイスした。

すると、彼は顔をしかめてこう言い放った。

 

「でもかっちゃん、弾けないでしょ?」

 

あぁ、と思った。

僕は弾けなかった。

彼はピアノのことを知らない。

難易度的に、ちょっと練習すれば弾ける簡単なフレーズだ。

しかし彼は僕が弾けないと思っていた。

僕はもう、弾かないと思った。

 

弾かない。

 

そのライブは僕よりはるかに上手い後輩のピアノの子が華麗なデビューを果たした。

あの時聴いた「丸の内サディスティック」を僕は忘れることができないだろう。

 

つづく

僕とIくん(その2)

高校で僕は孤立していた。その頃僕は(小学生の終わりくらいからだけれど)ずうっとゲイセクシャルに悩んでいた。ゲイセクシャルであることは犯罪に等しい状態だ、と親に洗脳に近いような教育をされて育っていたので、私自身、毎日自分のことは犯罪者だと思っていた。

ヤンキーな行為には勇気がなくやらなかったが、毎日遅刻したり、授業も適当に寝て、とにかく無気力に、流されるがまま生きていた。

毎日なんで生きてるんだろう、僕はゲイセクシャルだから、犯罪なんだから、早く死なないといけないのに。なんで生きてるんだろう。どうしてこの体は勝手に息をして、心臓を動かして、生きようとするんだろう?とか考えていたので、それはそれは暗かった。

そういう奴は陰気な扱いなわけで、僕は周囲からまぁまぁ孤立していた。話をする人はポツポツ居ても、帰りの自転車の30分、毎日夜の道路を一人でたらたら走る日々。

 

I君が入ってきてからは、ほぼ毎日のようにI君と帰っていた。I君は僕好みのイカれた野郎を見つけ出す天才で、I君の周りにはイカれたやつらばかりが集まって騒いでいた。毎日毎日、家に帰ったらすぐに忘れてしまうような低レベルな会話を交わし、ずっと笑いあっていた。くだらない話をするのが僕はとても好きだった。つらい気持ちをひとときでも忘れることができるから。

 

自転車で高校を出て僕たちの家へ向かうと、すぐに大きな川を渡らなければいけなくなる。橋から見下ろす夜の河川敷はとても静かで、自転車のチェーンの音と僕たちの笑い声がこだましていた。まるで一枚の写真に切り取ったかのように、その頃見た夜の河川敷の色彩や、空気や、さざめきを覚えている。

 

高校を卒業して、僕は受験に失敗して浪人することになった。浪人していた期間は、僕は完全に勉強に集中していたために、あんまり覚えていない。I君ともあまり連絡は取っていなかったように思う。僕は浪人で市内の国立大学に、彼は現役で同市内の私立大学に入ったことを聞いた。

 

久しぶりに連絡を取ると、彼はジャズ研に入ったという。僕は意外だった。あれだけバンドミュージックにのめり込んでいたのに。僕はジャズについて何も知らなかった。しかしながら、僕はブラックミュージックに興味を持っていて、その点ジャズに興味を抱かないわけもなかった。僕もやってみたいと彼に申し出て、早速、彼のいる大学のジャズ研に見学しに行くことにした。

 

初めて行ったジャズ研で、僕は圧倒された。楽器の技術レベルが桁違いだった。聴くに、大きい音が出ないので練習できるスペースが部室に少々あるし、毎週スタジオでセッション練習もしているという。ライブも定期的にやっていて、ジャズバーに出る時はロックバンドに課されるようなチケットノルマなどという制度は特にないそうだ。

僕はその場で入りたい申し出をし、結局また彼と一緒に音楽をやることになった。

 

毎週セッションする日々はとても楽しかった。アイコンタクトでアドリブを交代して行くスリルや、アドリブの中にとてもいいフレーズが弾けた瞬間や、ジャズの醍醐味に一気に虜になった。彼のドラムは高校の頃とは見違えるように優しい音を出すようになっていた。

この頃はただ音楽が楽しいだけだった。

 

つづく

 

僕とIくん(その1)

以前少しバズっていた「何も言わずに消えるようにいなくなる人について」(タイトルはうろ覚えだがこのような趣旨のもの)を読んだ時、一人の友人が思い浮かんだ。

彼をI君とし、そろそろ自分の気持ちを整理する意味合いでも、彼との思い出を文章にしたためておこうかと思う。

 

彼との出会いは、小学生の頃だった。

僕は小学生の頃、結構陰気な子供だった(今でも底抜けに明るいわけじゃないけれど)。人の顔色を伺って、人が何を考えているかわからなくて、何事にもビクビク怯えながら日常をすごしていたことをよく覚えている。

そんな性格では、当然そんなに友達も多くない。だいたいいつも同じマンションの連中で遊んでいた。

 

そんな中、I君は突如現れた。初めての出会いは今でも覚えている。同じマンションの友人の部屋で遊んでいた時に、I君がドアを大きく開けて現れた。彼は底抜けに明るく、面白いジョークを鳴らして周りの空気を温める、朗らかなやつだった。僕は彼のことがうらやましかった。

僕らはすぐに意気投合し、僕は頻繁にI君のマンションに遊びに行った。I君の家は僕のマンションの隣のマンションだった。彼の家の中でゲームをしたり、ビーダマン(死語!)をしたり、カードゲームをしたり、体を動かすのが嫌いだったもの同士でインドアな遊びをたくさんした。彼の家に通いすぎて、「エントランスのインターホンを鳴らしたら、玄関でインターホンやドアノックなど鳴らさず入ってきていい」というルールができた。

彼の家には猫がいた。彼はいつもその猫を慣れた様子でじゃらして、僕のことも覚えてくれた。彼の影響で、僕も猫が少し好きになった。

やがて中学生になり、彼と学年が分かれた。実はI君は僕の一つ年下だった。

中学生になると、「先輩、後輩」という概念が少し影響を及ぼし始める。少なくとも、小学生よりは。でも僕らの関係は全然変わらなかった。タメ語だし、会話の距離感も全く変わらなかった。とはいえ、学年が違うとやはり少しコミュニティも別れてきて、彼は彼のコミュニティを作っていた。そこにたまに僕も混ざって、みんなでゲームをしたりだとか。相変わらずインドア趣味は全然変わっていなかった。

高校生になり、僕は自転車で30分くらいの高校へ通うことになった。高校生になると、さすがに彼と疎遠になるかと思っていたが、なんと偶然にもI君も同じ高校に通うことになった。ところが、なんと同じ高校へI君が入ってきた。初めに聞いた時はびっくりした。また一緒なの?と少しこっぱずかしいような気持ちがしたが、嬉しかった。

僕はその頃、中学生の頃から漠然と憧れていた軽音部へ入っていた。しかし、所属していたバンドのボーカルが解雇(ド音痴だったため)され、バンド自体も空中分解してしまっていた。僕は軽音部のバンドに出られなくなってしまった。

そのころ、後輩にI君が入って来た。相変わらずのタメ口で、僕と会話の距離感も全く変わっていなかった。彼は「ドラムをやる」という。とうに僕の身長を追い抜かした長身の彼がドラムの椅子に座ると、不思議と似合っていた。

彼が「音楽に興味がある」なんて話聞いたことがなかったが、そこからの音楽の入れ込みようは本当に急激だった。すぐ僕よりインディーズバンドや洋楽やいろんな音楽に詳しくなって、よく二人で深夜にツタヤまで自転車を走らせてCDをレンタルしに行った。CD旧作5枚で1000円だった。毎週5枚借りて、内緒で二人同士で借りたCDを交換し合ってウォークマンに入れたりして、返しに行っては借りて、を繰り返していた。

僕たちはバンドミュージックで頭がいっぱいになっていた。

ある日の昼休みに、ピロウズの「ハイブリッド・レインボウ」が流れた時、ピロウズのファンだった僕たちは大盛り上がりした。

すぐに流したやつを特定して、そいつと一緒に、ピロウズをコピーするバンドを組んだ。島村楽器名古屋パルコ店にAスタジオで動画を撮って、youtubeにあげることになった。曲目はもちろん「ハイブリッド・レインボウ」。僕は通販で買った15800円の初心者セット、テレキャスターのコピーモデルをかき鳴らして歌った。思い返すと、彼のドラムが今でも聞こえてきそうなほどだ。

 

つづく