白い球体になりたい

音楽好きだし、ゲイだし、世界が終わらないことも知ってる

短絡

「あんたが実家に戻ってきて、まだ一年も経たないのに、もう行っちゃうんだね」

 

母の最近のお気に入りは覆面パトカーの動画を観ることで、家に帰るとソファーの上で寝そべって、スマホにかじりついて動かない。普通の車から覆面パトカーへ変身を遂げる瞬間がたまらないそうだ。僕にはよくわからなかった。

そんな母に、内定が出たので上京する旨を伝えた。母は少し間を置いて、誰に対して発しているのかわからないような、不思議な口調で放った。

 

僕は何も言えなかった。僕はゲイで、ゲイにとって上京がどう重要なのか、母には一番説明してきたつもりだった。母がどう思っているかは、実は未だにわからない。ゲイだという話をしてから10年以上経つというのに、だ。母が息子へ抱く愛情だとか、家族の絆だとか、そういった類のものはあまり意識してこなかった。一つだけ分かっているのは、僕は何も言えないまま少し涙を堪えたということだ。

 

僕は最近すぐ泣いてしまう。面接前後もだし、業務中はずっと、寝る前、たまのスーパー銭湯、東京と名古屋の新幹線の間、面談最中で涙が出そうになってしまった瞬間もあった。もちろん涙が出ていても、嗚咽がとまらなくなるのは稀で、涙が出ていることを鼻の奥の方で感じ取りながら普通の表情で働いている。表情一つ変えずに泣くことってできるんだ、と自分の「大人」としての成長に戸惑いすら抱いた。いろいろな種類の涙があって、それら全て説明できるわけがなくて、感情の回路が短絡しては、導線が焼け切れてしまう。取り繕う気はさらさらなくて、涙が止まるまで泣けばいい。どれだけ時間がかかるかはわからないが、そうしないと解消できない感情をきっと生んでしまったのだ。

 

今までいろいろな場所へ動き回ってたくさんの人と話をして、危機意識と市場価値の現実が見えた。現実はいつでも恥ずかしがり屋だ。目の前にあるはずなのに、隠れて出てこない。現実の解釈の仕方を間違えると、一気に鬼の形相で襲いかかってくる。なかなかに可愛い奴じゃないか。

 

人生を壊さないように必死で、どうにかここまできた。今振り返ると、人のアドバイスに流されっぱなしの人生だった。自分自身で決定した結論だったつもりが、どうやらそれが疑わしい。アドバイスはありがたいが、それを裏切る何かはありえる。しかしながら、今回鮮明になったことは「誰のものでもない僕の人生だ」ということだ。

 

僕は初めて自立することができるのだと思う。

 

「大丈夫。また顔見せに帰ってくるし、ここは私の故郷だから。」

母にはそう伝えた。

転&職

通勤途中の道すがら、ツバメの巣から雛が落ちて死んでいるのを見つけた。春の終わりを告げるかのような強い日差しと、熱せられたアスファルトに静かに横たわり、眠ったように動かない。すぐ上には巣から雛たちがピーチクパーチクと薄情にも親の帰りを待っている。残酷だが、さもありなん。幾多の人々が慌ただしい様子でその場を立ち去っていた。私は出勤に遅れるギリギリであったため、その場を後にした。

 

ピーチク、パーチク。

 

転職活動をしている。

転職活動を始めると一つ強烈にわかることがある。それは「自分の市場価値」だ。自分がどんな環境で、どのようにして、どれくらい働いてきたか。それが全てとなる。私の市場価値はどうだったかというとそれはお察しで、アラサー、黒電話が使えます、という感じだ。ここは竜宮城で、今私は玉手箱を開けてしまった。見渡す限りに知らない世界が広がっており、自分がいまどんなものなのか、何もわからないまま時間が過ぎていた。

あるいはここは燕の巣なのかもしれない。私は幼気な雛鳥で、まだ翼も育っていないまま飛び立とうとしているのかもしれない。私の翼の状態を確認した。その気になれば飛べてしまえるんじゃないか。無知な私はそんなことを考え、いざ巣の外を観察する。なんと広く、美しく、残酷な世界が広がっているのだろう。私ごときに、一体何ができるのだろう。私は1人の凡才として、平平凡々な人生を歩んでいきたかっただけだというのに。私はこのまま、自己実現などを放棄し、人間でなく機械として生きていきたかっただけなのに。

私は巣から身を乗り出し、さして大きくもない空へ飛び立とうと一気に___

 

ピーチク、パーチク。

 

先ほどの雛鳥に名前などなく、廃屋に設置された巣は人知れず営んでいくだろう。

そして私はまたその場面を完璧に無視し、後にするだろう。

 

セックス

ジムを終えたあと、近くのコンビニでサラダチキンを食べることが習慣になった。体を鍛えて、栄養をとって、効果があるかどうかはさておいて、このような習慣をつけないと精神的な安定が得られない。ジムで体を鍛えることは、ゲイコミュニティで生き延びるための唯一の手段、というか、それでギリギリ私はゲイだというアイデンティティを保てているのだと思う。

新宿二丁目系シンガーソングライター」と銘打った私は、ライブハウスでの活動を通じてかなりの人たちに私はゲイセクシャルなんだと打ち明けてきた。カミングアウトである。しかし、生活は別に変わらない。少し女友達が増えて、最近のネットのニュースで、同性愛を差別する発言に対して謝罪する、という風潮が出てきたくらい。でもそれはどこか遠い国のお話のように聞こえてしまう。

別に私が活動する前からそのように風潮は改善されつつあったし、私はその流れに少し乗って、仮想の世界でない、現実の世界で生きている実物を見てほしいなと思って歌っているだけだ。

私の勤めているごくごく狭い世界では、未だにオフィスレイディと呼ばれる人がいて、彼女たちにお茶を汲んでもらうようお願いしなければいけないし、なんならファクシミリだって、テレフォンボックスだって置いてある。グーグルで検索するだけでインターネットに詳しい人という扱いになる。そんな彼らは、未だに「彼女」の気配すら匂わせない私をさぞ不思議がっている。先ほどまで罵倒していたゲイセクシャルが目の前にいるとも知らずに。彼らはしきりに「結婚」をしろという。私はいつもそのシステマティックな幸せに疑問を覚えるが、たいてい会話をそらすのに必死だ。彼らは男二人の純白のタキシード姿を見たいのだろうか。まぁ、別に見たいとか見たくないの話ではなくて、単純に私の幸せを、彼らなりの価値観にのっとって願ってくれているのであろう。

いままでのことを思うと、私はいろいろな環境に自分に順応させてきたのかもしれない。それは自分の演じるキャラクターや立ち振る舞いで、その各々の環境に入って一番バランスが保てるよう、いろいろな役柄を演じてきたような気がしている。この会社でも、きっとそうだった。私はさわやかで、仕事に一生懸命で、明るい将来を描ける、上司に逆らわない、そんなまじめな好青年像を求められるがまま、無意識的に演じてきたのだろう。

自分のこの空虚さを取り戻すかのように、私は自分の信念のようなものを曲に反映してきたし、そういうのは得意で助かった。いつだって音楽にすがって、助かってきた。いつまで音楽ができるかはわからないし、とりとめのない文章をブログに乗せても仕方がないので、ここでこのお話はおしまい。

みんな、いいセックスをしようね。