白い球体になりたい

音楽好きだし、ゲイだし、世界が終わらないことも知ってる

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僕の住んでいる街は新幹線から遠目に見ることができる。名古屋から東京方面へ乗る場合は、左側の窓側シートを確保するのがコツだ。名古屋を出発してしばらくすると、遠目に駅前のマンションが見える。そこから歩いていけば、僕のふるさとだ。

 

朝7時に起床し、いつものようにダラダラとパンと紅茶を胃に詰め込む。最後くらい駅まで送ってよと母にせびると、快諾してくれた。車内で、最近はラテンのリズムがブームだと母は話す。僕はぼんやりと頷いていた。
早起きしたのは、今日やるバーベキューに参加するため。この一年で知り合ったライブハウスつながりのバンドマン達と前々から約束をしていた。すこし辺鄙な場所にあるので、すでに遅刻気味。28年使っていた自宅の最寄駅はあまりにもいつも通りの風景で、私は現実感を失ったまま電車を待っていた。
コインロッカーに荷物を預けバーベキューの会場まで。遅れたと思っていたが、みんな遅刻気味な様子で到着は最初の方だった。肉や機材一式を揃え、いざバーベキュー。たわいもない話をたくさんした。たわいもない話をできる人というのは貴重だ。特にこの年齢くらいになると、現実の話しかしなくなってくるから。
昼過ぎ、そろそろ行かねばと。最後に集合写真をとり、名残惜しいが途中でお暇した。帰りのことはよく覚えていない。
コインロッカーから荷物を回収し、新幹線の切符を買う。

 

この感情にふさわしい音楽を僕は知らない。
ただひたすらこの街の喧騒が愛おしかった。

 

名駅ホームにて。見送りも特にない寂しい旅立ちだが、せめてと親にラインした。フリックを打ちながら自然と涙が溢れている自分に気がつく。おかしいな。僕はこの街のことが…ラインを打ち切って涙を一つ拭って、送信。すると、13時の東京行きひかりがやってきた。

 

新幹線が発車し、僕はこの街を眺める。ちゃんと左側の窓側シートを確保して。
僕のふるさとはあの駅前のマンションから、すこし歩いて行ったところにある。

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「そう来るんじゃないかと思ってました」

 

 直属の上司に退職の意思を告げると、全てお見通しだったことがわかった。尊敬している人に別れを告げることは本当に心苦しく、涙を流さないように泣いていた。精神的にまいってる様子だったのが見て取れたので、相当心配されていたようだ。

 上司は、今後の進路を応援してくれた。私が現職で考えていたことを話したらほぼ共感しているようだった。転職を考えたことも何度かあったそう。しかし彼は生活を取り、ここまでやってきた。側からみれば仕事のできない奴がいなくなって清々すると思う。上司のポーカーフェイスからは何も読み取れなかったけど、名古屋に帰ってきたらお酒でも飲みましょうと言ってくれた。

 

さらに上の上司がやってきて、今度は穏やかでない表情で私を説教する。「今から他所に通用するエンジニアになることは厳しい」と言われた。同じ口から以前「君は他の会社でやっていけると思う?」ときかれたことを思い出し、全てのピースが当てはまった。エンジニアの道を捨てた方が賢明だという彼の主張を聞きながら、これまで働いてきたいろんな出来事を思い出していた。行くも地獄、戻るも地獄。つまり、私は地獄で生きていることの証明になってしまった。

 

大人になると、涙を流さなくても泣けることができてとても便利だ。

 

28歳の夏休みが始まった。

どこへ行ってもいいし、いくら寝てもいい。

僕は途方に暮れていた。

 

 

 

短絡

「あんたが実家に戻ってきて、まだ一年も経たないのに、もう行っちゃうんだね」

 

母の最近のお気に入りは覆面パトカーの動画を観ることで、家に帰るとソファーの上で寝そべって、スマホにかじりついて動かない。普通の車から覆面パトカーへ変身を遂げる瞬間がたまらないそうだ。僕にはよくわからなかった。

そんな母に、内定が出たので上京する旨を伝えた。母は少し間を置いて、誰に対して発しているのかわからないような、不思議な口調で放った。

 

僕は何も言えなかった。僕はゲイで、ゲイにとって上京がどう重要なのか、母には一番説明してきたつもりだった。母がどう思っているかは、実は未だにわからない。ゲイだという話をしてから10年以上経つというのに、だ。母が息子へ抱く愛情だとか、家族の絆だとか、そういった類のものはあまり意識してこなかった。一つだけ分かっているのは、僕は何も言えないまま少し涙を堪えたということだ。

 

僕は最近すぐ泣いてしまう。面接前後もだし、業務中はずっと、寝る前、たまのスーパー銭湯、東京と名古屋の新幹線の間、面談最中で涙が出そうになってしまった瞬間もあった。もちろん涙が出ていても、嗚咽がとまらなくなるのは稀で、涙が出ていることを鼻の奥の方で感じ取りながら普通の表情で働いている。表情一つ変えずに泣くことってできるんだ、と自分の「大人」としての成長に戸惑いすら抱いた。いろいろな種類の涙があって、それら全て説明できるわけがなくて、感情の回路が短絡しては、導線が焼け切れてしまう。取り繕う気はさらさらなくて、涙が止まるまで泣けばいい。どれだけ時間がかかるかはわからないが、そうしないと解消できない感情をきっと生んでしまったのだ。

 

今までいろいろな場所へ動き回ってたくさんの人と話をして、危機意識と市場価値の現実が見えた。現実はいつでも恥ずかしがり屋だ。目の前にあるはずなのに、隠れて出てこない。現実の解釈の仕方を間違えると、一気に鬼の形相で襲いかかってくる。なかなかに可愛い奴じゃないか。

 

人生を壊さないように必死で、どうにかここまできた。今振り返ると、人のアドバイスに流されっぱなしの人生だった。自分自身で決定した結論だったつもりが、どうやらそれが疑わしい。アドバイスはありがたいが、それを裏切る何かはありえる。しかしながら、今回鮮明になったことは「誰のものでもない僕の人生だ」ということだ。

 

僕は初めて自立することができるのだと思う。

 

「大丈夫。また顔見せに帰ってくるし、ここは私の故郷だから。」

母にはそう伝えた。