白い球体になりたい

音楽好きだし、ゲイだし、世界が終わらないことも知ってる

59号線という曲

サウンドクラウドを久々に更新しました。

 

先日大阪まで、東京から新幹線に乗って行きました。その時に通る名古屋という街が、僕の生まれた街で、僕が28年暮らした街です。

新幹線の車窓から眺める街は、全然懐かしくなくて、一ヶ月もまだ経っていないんだから当たり前なんだけど、でもこの街には住んでいないという事実を再確認して、しようとして、再確認に失敗してしまいました。

 

僕が音楽を作るときは、必ず、言葉だけでは表現できない、あるいは表現しきれない感情が生まれたときです。言葉でうまく表現することができなくて、わけのわからない散文を書き散らかしたりする程度ならまだいいんですが、それすらできないとき、それだけでは到底間に合わないとき、必ず音楽を作ります。

歌詞になるかもわからない。いい曲になるかもわからない。もしかして誰かの他の曲で代替え可能かもしれない。けれど、それでも音楽を作ります。

それ以外の方法を、僕は知りません。

こんな感じで高校一年生のころから作曲を初めて、もう12年経ちます。

その時初めて作った曲が「国道58号線」というタイトルの曲でした。当時初めて行った沖縄の綺麗な海沿いを走る国道を見て感激し、その感情を思い出して曲にしたのが、僕の音楽活動の原点です。

 

2017年、28歳の僕は、上京することが決まって、日々どうしたらいいのかわからない感情で過ごしていました。会社も辞めるし、いつも通っていたスーパー銭湯や、ラーメン屋や、ライブハウスや、好きな人や友達や、帰りの寄り道や、それら全てから離れてしまう状況を、全く想像できないまま、いや、実は強烈にその状況を妄想しながら、日々過ごしていました。その時の感情は、案の定言葉では表現できなくて、僕はすごくいい曲を書こうと思って、全部全部ぶちこんでやると思って、歌詞も、メロディもコードも、あっという間に曲ができました。

 

でも、タイトルだけがどうしても決まらなくて。

とても大切な曲だからこそ、ひょっとして僕しかわからないくらいの、もう自己満足でもいい領域の、すごく好きな名前をつけたいなと思っていて。

 

そこで、一つ、すごくどうでもいい偶然があったので、これだっと思ってタイトルにしました。

 

僕の家は駅からとても遠くて、いつもいつも長いこと歩かされていたあの道。その道について曲を作ったので、県道だけど、59号線というタイトルをつけました。

初めて作った曲も、道にまつわる曲で、(国道)58号線というタイトルだったので、58から59へ、という意味を込めて。

自分の人生の、音楽の、第二編を暗喩しているような気がして。

本当に笑っちゃうくらいすごいどうでもいい偶然なんですが、国道59号線って日本にはないって今日知って、なんだかそれもまた偶然な気がして。でも、こういう些細な偶然は、わりと大切にしたいなと思っています。

 

以上。よかったら、ふるさとを思い出しながらでも聴いてみてください。

僕はあの街を出ても、あの街がふるさとです。 

 

59

僕の住んでいる街は新幹線から遠目に見ることができる。名古屋から東京方面へ乗る場合は、左側の窓側シートを確保するのがコツだ。名古屋を出発してしばらくすると、遠目に駅前のマンションが見える。そこから歩いていけば、僕のふるさとだ。

 

朝7時に起床し、いつものようにダラダラとパンと紅茶を胃に詰め込む。最後くらい駅まで送ってよと母にせびると、快諾してくれた。車内で、最近はラテンのリズムがブームだと母は話す。僕はぼんやりと頷いていた。
早起きしたのは、今日やるバーベキューに参加するため。この一年で知り合ったライブハウスつながりのバンドマン達と前々から約束をしていた。すこし辺鄙な場所にあるので、すでに遅刻気味。28年使っていた自宅の最寄駅はあまりにもいつも通りの風景で、私は現実感を失ったまま電車を待っていた。
コインロッカーに荷物を預けバーベキューの会場まで。遅れたと思っていたが、みんな遅刻気味な様子で到着は最初の方だった。肉や機材一式を揃え、いざバーベキュー。たわいもない話をたくさんした。たわいもない話をできる人というのは貴重だ。特にこの年齢くらいになると、現実の話しかしなくなってくるから。
昼過ぎ、そろそろ行かねばと。最後に集合写真をとり、名残惜しいが途中でお暇した。帰りのことはよく覚えていない。
コインロッカーから荷物を回収し、新幹線の切符を買う。

 

この感情にふさわしい音楽を僕は知らない。
ただひたすらこの街の喧騒が愛おしかった。

 

名駅ホームにて。見送りも特にない寂しい旅立ちだが、せめてと親にラインした。フリックを打ちながら自然と涙が溢れている自分に気がつく。おかしいな。僕はこの街のことが…ラインを打ち切って涙を一つ拭って、送信。すると、13時の東京行きひかりがやってきた。

 

新幹線が発車し、僕はこの街を眺める。ちゃんと左側の窓側シートを確保して。
僕のふるさとはあの駅前のマンションから、すこし歩いて行ったところにある。

58

「そう来るんじゃないかと思ってました」

 

 直属の上司に退職の意思を告げると、全てお見通しだったことがわかった。尊敬している人に別れを告げることは本当に心苦しく、涙を流さないように泣いていた。精神的にまいってる様子だったのが見て取れたので、相当心配されていたようだ。

 上司は、今後の進路を応援してくれた。私が現職で考えていたことを話したらほぼ共感しているようだった。転職を考えたことも何度かあったそう。しかし彼は生活を取り、ここまでやってきた。側からみれば仕事のできない奴がいなくなって清々すると思う。上司のポーカーフェイスからは何も読み取れなかったけど、名古屋に帰ってきたらお酒でも飲みましょうと言ってくれた。

 

さらに上の上司がやってきて、今度は穏やかでない表情で私を説教する。「今から他所に通用するエンジニアになることは厳しい」と言われた。同じ口から以前「君は他の会社でやっていけると思う?」ときかれたことを思い出し、全てのピースが当てはまった。エンジニアの道を捨てた方が賢明だという彼の主張を聞きながら、これまで働いてきたいろんな出来事を思い出していた。行くも地獄、戻るも地獄。つまり、私は地獄で生きていることの証明になってしまった。

 

大人になると、涙を流さなくても泣けることができてとても便利だ。

 

28歳の夏休みが始まった。

どこへ行ってもいいし、いくら寝てもいい。

僕は途方に暮れていた。