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白い球体になりたい

音楽好きだし、ゲイだし、世界が終わらないことも知ってる

生きる

定年退職を控えたAさんにしょっちゅう電話がかかってくるようになった。会社を退職する手続きがたくさんあるのだろう。企業年金だとか、財形貯蓄とかいろいろ。以前Aさんと飲み会で老後の話をした時、「今の時代、老後に向けて5000万くらい貯金しておかないと野垂れ死ぬよ」とアドバイスをいただいたことがある。みんなそんなに貯金できんの?とカルチャーショックを受けた。Aさんは実際にいくら貯めてるのかは知らない。

働くのが嫌で、社内の共通サーバのファイルを漁っていたとき、「これからこの事業部をどうしていこう?」みたいな会議の議事録を見つけた。我々事業部の現状把握、それに抗する対策、なかなかに現状に即した現実的な文章だなと感心していると、作成の日付が15年前であることを確認した。

つまり、これだけの問題点があると把握していながら、これだけ事業部が追い詰められていることを理解していながら、それでもなお、どうすることもできなかったのだ。しかも厄介なことに、15年という長い月日を、なんとか生きながらえてしまった。緩やかに、静かに、しかし確かに、死んできたのだ。僕はそのうちの5年ほど、この事業とともにゆるやかに死んできたのだった。

 

Aさんは定年退職が嬉しくて仕方がないようで、普段はそうでもないのに最近は周りのひとにやっかむようになった。この15年を一番濃厚に過ごしてきたBさんは僕の上司で、今日はBさんにAさんが珍しく話し込んでいた。

 

この事業はもう持たない。早く畳むべきだろう。しかし畳むとなれば責任を誰が取るのかという話になってくる。現状を誰も責任をとると思えない。この事業はしばらくつづくだろう。再起は絶対に不能だとしても。

 

畳むべきだというのは辞めるAさんで、冷静につづくと語るのはBさんだ。

僕はこの会話を遠巻きに聞きながら、Yahoo! JAPANで世界が滅びるニュースや、隣国の繁栄のニュースを読む。

定年退職を間近に控えた人に、もうこんな事業は畳むべきだと言われたBさんは一体どういう気持ちだろう。この事業をここまで放置し、ここまで悪化させた一因は必ずAさんにもあったはずなのに。他人事、当事者意識、さまざまな言葉で彼を責め立てることはできても、あまりに無力だ。なぜならば彼はもう定年退職というゴールテープを切る寸前なのだ。逃げ切り一着。翻って私は周回遅れのコースから外れ、競技場の外への脱出を試みるしかない。

Bさんはどうだ。僕は個人的にBさんに大変な尊敬の念を抱いている。我々部下の労務管理進捗管理、仕事の指示の出し方、質問への回答、全てが完璧すぎるほどの優秀な人だ。この人の下で働くことができてよかったとすら思う。しかし、もう外堀が埋まってしまった。それだけ優秀なBさんを持ってしても、この場所は緩やかに、確かに、静かに、死んできたことだけが事実なのだ。

僕は自分が生き延びる手段を考えなければいけない。走り方だってそうだし、走る場所だってそうだ。この崩れおちてしまいそうな競技場の外はどんな景色だろう。空は青いだろうか。道はアスファルトだろうか。ボロボロになったシューズで立ち尽くしている。