白い球体になりたい

音楽好きだし、ゲイだし、世界が終わらないことも知ってる

転&職

通勤途中の道すがら、ツバメの巣から雛が落ちて死んでいるのを見つけた。春の終わりを告げるかのような強い日差しと、熱せられたアスファルトに静かに横たわり、眠ったように動かない。すぐ上には巣から雛たちがピーチクパーチクと薄情にも親の帰りを待っている。残酷だが、さもありなん。幾多の人々が慌ただしい様子でその場を立ち去っていた。私は出勤に遅れるギリギリであったため、その場を後にした。

 

ピーチク、パーチク。

 

転職活動をしている。

転職活動を始めると一つ強烈にわかることがある。それは「自分の市場価値」だ。自分がどんな環境で、どのようにして、どれくらい働いてきたか。それが全てとなる。私の市場価値はどうだったかというとそれはお察しで、アラサー、黒電話が使えます、という感じだ。ここは竜宮城で、今私は玉手箱を開けてしまった。見渡す限りに知らない世界が広がっており、自分がいまどんなものなのか、何もわからないまま時間が過ぎていた。

あるいはここは燕の巣なのかもしれない。私は幼気な雛鳥で、まだ翼も育っていないまま飛び立とうとしているのかもしれない。私の翼の状態を確認した。その気になれば飛べてしまえるんじゃないか。無知な私はそんなことを考え、いざ巣の外を観察する。なんと広く、美しく、残酷な世界が広がっているのだろう。私ごときに、一体何ができるのだろう。私は1人の凡才として、平平凡々な人生を歩んでいきたかっただけだというのに。私はこのまま、自己実現などを放棄し、人間でなく機械として生きていきたかっただけなのに。

私は巣から身を乗り出し、さして大きくもない空へ飛び立とうと一気に___

 

ピーチク、パーチク。

 

先ほどの雛鳥に名前などなく、廃屋に設置された巣は人知れず営んでいくだろう。

そして私はまたその場面を完璧に無視し、後にするだろう。

 

セックス

ジムを終えたあと、近くのコンビニでサラダチキンを食べることが習慣になった。体を鍛えて、栄養をとって、効果があるかどうかはさておいて、このような習慣をつけないと精神的な安定が得られない。ジムで体を鍛えることは、ゲイコミュニティで生き延びるための唯一の手段、というか、それでギリギリ私はゲイだというアイデンティティを保てているのだと思う。

新宿二丁目系シンガーソングライター」と銘打った私は、ライブハウスでの活動を通じてかなりの人たちに私はゲイセクシャルなんだと打ち明けてきた。カミングアウトである。しかし、生活は別に変わらない。少し女友達が増えて、最近のネットのニュースで、同性愛を差別する発言に対して謝罪する、という風潮が出てきたくらい。でもそれはどこか遠い国のお話のように聞こえてしまう。

別に私が活動する前からそのように風潮は改善されつつあったし、私はその流れに少し乗って、仮想の世界でない、現実の世界で生きている実物を見てほしいなと思って歌っているだけだ。

私の勤めているごくごく狭い世界では、未だにオフィスレイディと呼ばれる人がいて、彼女たちにお茶を汲んでもらうようお願いしなければいけないし、なんならファクシミリだって、テレフォンボックスだって置いてある。グーグルで検索するだけでインターネットに詳しい人という扱いになる。そんな彼らは、未だに「彼女」の気配すら匂わせない私をさぞ不思議がっている。先ほどまで罵倒していたゲイセクシャルが目の前にいるとも知らずに。彼らはしきりに「結婚」をしろという。私はいつもそのシステマティックな幸せに疑問を覚えるが、たいてい会話をそらすのに必死だ。彼らは男二人の純白のタキシード姿を見たいのだろうか。まぁ、別に見たいとか見たくないの話ではなくて、単純に私の幸せを、彼らなりの価値観にのっとって願ってくれているのであろう。

いままでのことを思うと、私はいろいろな環境に自分に順応させてきたのかもしれない。それは自分の演じるキャラクターや立ち振る舞いで、その各々の環境に入って一番バランスが保てるよう、いろいろな役柄を演じてきたような気がしている。この会社でも、きっとそうだった。私はさわやかで、仕事に一生懸命で、明るい将来を描ける、上司に逆らわない、そんなまじめな好青年像を求められるがまま、無意識的に演じてきたのだろう。

自分のこの空虚さを取り戻すかのように、私は自分の信念のようなものを曲に反映してきたし、そういうのは得意で助かった。いつだって音楽にすがって、助かってきた。いつまで音楽ができるかはわからないし、とりとめのない文章をブログに乗せても仕方がないので、ここでこのお話はおしまい。

みんな、いいセックスをしようね。

 

 

 

 

 

 

 

生きる

定年退職を控えたAさんにしょっちゅう電話がかかってくるようになった。会社を退職する手続きがたくさんあるのだろう。企業年金だとか、財形貯蓄とかいろいろ。以前Aさんと飲み会で老後の話をした時、「今の時代、老後に向けて5000万くらい貯金しておかないと野垂れ死ぬよ」とアドバイスをいただいたことがある。みんなそんなに貯金できんの?とカルチャーショックを受けた。Aさんは実際にいくら貯めてるのかは知らない。

働くのが嫌で、社内の共通サーバのファイルを漁っていたとき、「これからこの事業部をどうしていこう?」みたいな会議の議事録を見つけた。我々事業部の現状把握、それに抗する対策、なかなかに現状に即した現実的な文章だなと感心していると、作成の日付が15年前であることを確認した。

つまり、これだけの問題点があると把握していながら、これだけ事業部が追い詰められていることを理解していながら、それでもなお、どうすることもできなかったのだ。しかも厄介なことに、15年という長い月日を、なんとか生きながらえてしまった。緩やかに、静かに、しかし確かに、死んできたのだ。僕はそのうちの5年ほど、この事業とともにゆるやかに死んできたのだった。

 

Aさんは定年退職が嬉しくて仕方がないようで、普段はそうでもないのに最近は周りのひとにやっかむようになった。この15年を一番濃厚に過ごしてきたBさんは僕の上司で、今日はBさんにAさんが珍しく話し込んでいた。

 

この事業はもう持たない。早く畳むべきだろう。しかし畳むとなれば責任を誰が取るのかという話になってくる。現状を誰も責任をとると思えない。この事業はしばらくつづくだろう。再起は絶対に不能だとしても。

 

畳むべきだというのは辞めるAさんで、冷静につづくと語るのはBさんだ。

僕はこの会話を遠巻きに聞きながら、Yahoo! JAPANで世界が滅びるニュースや、隣国の繁栄のニュースを読む。

定年退職を間近に控えた人に、もうこんな事業は畳むべきだと言われたBさんは一体どういう気持ちだろう。この事業をここまで放置し、ここまで悪化させた一因は必ずAさんにもあったはずなのに。他人事、当事者意識、さまざまな言葉で彼を責め立てることはできても、あまりに無力だ。なぜならば彼はもう定年退職というゴールテープを切る寸前なのだ。逃げ切り一着。翻って私は周回遅れのコースから外れ、競技場の外への脱出を試みるしかない。

Bさんはどうだ。僕は個人的にBさんに大変な尊敬の念を抱いている。我々部下の労務管理進捗管理、仕事の指示の出し方、質問への回答、全てが完璧すぎるほどの優秀な人だ。この人の下で働くことができてよかったとすら思う。しかし、もう外堀が埋まってしまった。それだけ優秀なBさんを持ってしても、この場所は緩やかに、確かに、静かに、死んできたことだけが事実なのだ。

僕は自分が生き延びる手段を考えなければいけない。走り方だってそうだし、走る場所だってそうだ。この崩れおちてしまいそうな競技場の外はどんな景色だろう。空は青いだろうか。道はアスファルトだろうか。ボロボロになったシューズで立ち尽くしている。