白い球体になりたい

音楽好きだし、ゲイだし、世界が終わらないことも知ってる

note

静かだ。
一人しかいない部屋で、遠くから鉄道が通る音が聞こえる。この部屋に住んで3年になる。
 
思えば、資本主義と向き合うことなく、27年生きてきた。
悪い癖で、本質的なことはあとまわしにしてしまう。
気づけばいつだってそうだった。
目先のことですぐに頭がいっぱいになり、中期的なことや長期的な戦略を立てることが苦手だった。
筋トレや、就職だってそう。
自分の人生に価値を見出せず、適当に生きてきた、そんな気がしている。
自分の人生に価値を見出せないので、自分の人生に誰かを巻き込むようなことを、してこなかった。
絶望に対して、甘えていたのだ。
 
この文章を書くことで、僕は構ってもらおうとしている。
それはTwitterで知り合ったたくさんの、いまのところ、いい人たち。
でもそれはきっと自意識過剰だ。
このブログが、せいぜい数人にしか読まれないであろうことも分かっている。
僕がどれだけいい曲を書いても、世界は変わらないことも分かっている。
やり方が音楽しかないので、こうなってしまったのだ。
いつだって音楽以外の方法を探してきた。
だけど、どうにも音楽以外向いてないみたいだ。
 
この部屋を引き払うことにしたのは、単純に生活するということがわからなくなったからだ。
生きていくだけでお金がかかるということを、見てみないふりをしていたようだ。
筋トレや就職だってそう。
僕は本当は欲深い人間なのだ。
そしてそれが正しい人間の姿なのだろう。
 
全てをいま捨てて、ゼロになってからまた始めようと思う。
気づけばいつだってそうだった。
中期的な、長期的な戦略を立てるためには、一度大きな間違いを犯さない限り学んでこなかった。
ここでの生活を一度糧に変換して、全てをやり直そうと思った。
その気持ちを忘れないように、ここに記しておこうと思ったのだった。

トウキョウ、ポエム、サテライト

今日だけで、少なくとも私の周辺にいる3人が、”トウキョウ”へ行くことが決定したことがわかった。
 
”トウキョウ”は、”トウキョウ”にふさわしい人がいないか自ら常に全国津々浦々アンテナを張り巡らせ、監視している。
”トウキョウ”で成功を夢みる若者、
”トウキョウ”で暮らす恋人に想いを馳せている人、
”トウキョウ”で働くべき優秀な人材など、様々だ。
 
彼らが”トウキョウ”で暮らすにふさわしい”何か”を手にした時、切符を渡される。
行き先は全て、”トウキョウ”だ。
切符を手にした彼らは、まるで初めからそうすることが決まっていたかのように、
テレビや、PCのスクリーンなど、画面の中にズブズブと入っていく。
その場所は、決して新幹線や、飛行機でいけるような場所ではない。
公共交通機関でいつでもいけるあの都会は、”東京”であって”トウキョウ”ではない。
”東京”と”トウキョウ”は一見コピー&ペーストしたかのように、私たちを欺くだろう。
しかし”東京”へたどり着いてしまった人間は、決して”トウキョウ”には入り込めない。
ガラスのような透明の素材越しに、”トウキョウ”の人々を眺めることしかできない。
 
”トウキョウ”は、
”トウキョウ”で生きて行く資格を与えられた人間だけが、入り込める世界なのだ。
 
私は”トウキョウ”に選ばれることなく、地方からぼうっと寒空を眺めている。
夜23時、餌を待つ雛鳥のように、だらしなく口を開けていた。
片付けていない部屋に、空腹を知らせる音が鳴り響いた。

日常

久々に定時で帰る。いろんな人に迷惑をかけながら、冷たい態度を取られながら、それも当然だなって自分自身で納得しながら、生きている。

通勤の電車に、いつもかっこいい人が乗ってくるので、挨拶でもしてしまいそうになる。僕が新入社員だった頃は彼は学ランを着て電車に乗っていたはずなのに、最近ではたまにスーツを着て電車に乗っている。時間は確実に流れていく。もちろん、私の全く関係のないところで、だ。

ある日の帰り道、今日は絶対にジムに行かないと心に決めて電車に揺られていた。残業が続き、人生ってなんだろう、私の時間はこうやってお金になり、松屋へ消え、名鉄へ消え、ゴールドジムへ消えていくのかとふと思っていたところ、急に車内がざわざわし始めた。

どうやら、僕の斜向かいの座席に座っていた、仕事帰りと思しき中年の男性が、意識がないようだ。初めは眠っていると思っていたのに…と隣にいた女性がこぼす。肩をゆすろうが返事はなく、呼吸をしている仕草もない。電車の緊急停止ボタンを押し、駅員を呼び出し状況を伝えた。そこそこの混雑で、人の行き来は若干困難な中、駅員がそこのけそこのけとやってきた。救急車を呼びながら、彼女は電話口で「心臓マッサージなんて私やったことない…」とパニックになっている。ちょうどよく「看護師です」と名乗り出てくれた方がいて、その場で心臓マッサージが始まる。結果、彼は近くの駅で待っていた救急隊員に運ばれていった。

ジムにいく気もしないのに、ジムの最寄りのK駅でいつも通り降りた後、電光掲示板が電車のダイヤ乱れを伝える。彼の無事を私が知るすべはない。全ての思考を停止させたのち、K駅の雑踏が私を日常に引き戻した。